2011年3月26日土曜日

移りゆく今


こんにちは。
すごく久々の更新になってしまいました。
たびたび訪れてくださっていたみなさん、ご心配くださったみなさん、ありがとうございました。

日本をたつ飛行機の中で、いつもは全く手にとることのない新聞を読みました。
一刻も目を離すことのできない、福島の原発のことが気になったから。
その新聞で、あるスポーツ選手の方が、「今海外にいることがつらい」と言っていました。
今海外に住んでいらっしゃるみなさんも、きっと同じ思いをされているんじゃないかなと思います。私も日本を離れたくはありませんでした。
でも、今回たまたま地震の起きたときに日本に居られたこと、家族や友人のそばに居られたことは、すごくありがたいことだと思っています。

そしてNZへ戻ってきてすぐに、パソコンが壊れてしまいました。
ほそぼそやっているウェブの仕事も、日本とのつながりも、パソコンに頼っているため非常に困りました。実際パソコンは、私にとっては生命線のような役割なのだということを実感しました。

そうして手に負えないことで埋め尽くされてくると、気持ちがふさがって何も手につかなくなります。そんな風に沈んでいるときは、たいてい「今」にしばりつけられているのだと感じます。まるで今この状況がずっと続くかのように思えて息苦しくなる。
だけど、そこから少し浮き上がってみると、だんだんと思い出し始める。
「今」というのがすべての物事の絶妙なバランスで成り立っているにすぎないということ。
そしてそれは、何かひとつが少しでも動くことによってまた次の形へと姿を変える。
そして、すべての物事は水の流れのように絶えず移り変わっているものだということ。
そうすると、今度は今この瞬間にも過ぎ去っていく「今」に焦点を当てているよりも、次にやってくる「今」を変えていくほうに力を注ごうという気持ちになる。
今日明日では変えられないことも多いけど、長い時の中でみれば何もかもが変わっている最中なんだと思うと、救われることもある。
時間はかかるけど、少しずつ。

さっきの新聞には、すごく印象的な三節の短い詩も載っていました。
細かい表現は忘れてしまいましたが、
一節目では、原発への反省について、
二節目では、偉大な自然の力に対する畏敬の念、
そして三節目には私たちがこれから天地と折り合い生きる方法をみつけるだろう、
ということが書いてありました。
これから進むべき方向は、自然、地球にもっと寄り添うことで、そしてすべてとのつながりに意識を向けることで、もっと明確にみえてくるはず。
壮大なようだけど、じつはものすごく根本的なレベルでの変化が求められているような気がします。

次回から、また「かいもり便り」を復活したいと思います。
「かいもりの変貌 その2」も、お楽しみに!

かいもりに帰ったら、ジャイアントマリーゴールドが咲いていました。

3 件のコメント:

  1. ブログ更新を待っていました! 友人もですよ。
    庭に一生懸命咲いている可愛いユリの花も見れて嬉しいです。
    ハナちゃんのようよ。

    今日本は歴史に残る大変な時です。これからこの国はどういう方向に進むのか・・・
    便利、快適、経済の発展を求めてとても危険なものまで造って・・・
    そんな生活が幸せだと勘違いしていました。

    ニュージーランドには山の上に風車が沢山ありましたね。
    道路も鉄道もむやみやたらに造らないで、必要な分だけ少しだけ。
    そして自然と生き物を大切にして、
    なんだかニュージーランドが理想の国に思えてきましたよ。

    そんなニュージーランドの生活ぶりブログで読むのをを楽しみにしていますから続けてください。
    mamacat

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  2. あーよかった!私も待ってました。
    人間と自然の力のバランスが崩れ始めたのはいつからだったのでしょうか。天地と折り合い生きる方法というのは、きっとだれもが願っていること。
    マリーゴールドって名前もいいよね。癒されるな

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  3. 彩ちゃん
    久しぶりに声(?)聞けてうれしいです。ありがとう。
    今、東京での子育てはすごく大変なことが多いと思うけど、がんばってね!
    遠くから応援してます。

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