2011年5月25日水曜日

おばあちゃんのこと

昨日、asahi.comというニュースサイトで、おばあちゃんが住んでいた地域の写真の特集(http://www.asahi.com/travel/rail/gallery/2011tadami/)があったので、いつか書きたいと思っていたおばあちゃんのことを書こうと思う。

NZへ来てから、おばあちゃんのことをときどき考えるようになった。
そのおばあちゃんは、もうずっと前に、私が中学生のころ亡くなってしまった母方の祖母で、私の4人の祖父母の中では一番長生きしてくれて、一番多くの時間を過ごすことができたおばあちゃんだ。
おばあちゃんのことを考えることが多くなったきっかけはきっと、NZへ来て最初に一緒に暮らしたスカイの生活ぶりが、おばあちゃんのことを思い出させたからだと思う。

たとえばスカイは、キッチンからでる生ごみをフタ付のバケツに入れておいて、たまると庭のコンポスト置き場に捨てる。それはやがて堆肥になり、野菜や木の栄養になっていく。(スカイはパーマカルチャーという自然に則した畑や生活の実践方法も学んでいて、裏庭にはそれは素敵な野菜畑とちっちゃな果樹園があるんです。)

私のおばあちゃんは、山深い田舎で、すぐ隣は川、反対側は山というようなところにすんでいたので、台所の生ごみは橋のふもとから川らの茂みに投げていた。それもきっと自然にもどり、大地の栄養となっていっただろう。おばあちゃんがどんなことを思い、そうしていたのかは今となってはわからないけれど、昔の人にとってはきっとそれがあたりまえのことだったんだろうな、と思う。

それからスカイは、庭で取れるりんごやプラム、フィジョアなんかを大鍋で煮て、大きな瓶に詰めて保存している。それらの瓶は台所の上の戸棚にずらりとならび、一年中朝のミューズリーやちょっとしたスイーツに活躍する。

スカイのキッチンで、瓶詰めにされたプラム

私のおばあちゃんも、味噌や梅漬けを自分のところで作っていた。
ベランダのところに納屋があって、そこに黄色い味噌樽がしまってあった。
お茶を飲むときにはよく、カリカリとしてすっぱい、大きな赤シソ色の梅をお茶請けに食べた。
もしももっと長生きしていてくれたら、おばあちゃんからいろんなものの作り方を教えてもらいたかった、とすごく残念に思う。

そしてスカイの日常には決まったリズムがある。
朝はまず瞑想をしてから散歩に出かける。雨の日も、カッパを着ていく。コースは何種類かあってその日の気分で長さもいろいろ。途中にはブラックベリーやプラムがなっていて時々そういうのを摘んで食べたりしながら。腕をぐるぐるまわしたり、深呼吸したり、体操もしながら歩く。
それからそれぞれで朝ごはんを食べる。
昼食と夕食はみんなで一緒に食べる。昼食の後には必ず1~2時間のお休み(シエスタ)をして、夕食のまえには夕日を見ながら呼吸法を行い、食べる前には必ずみんなで歌を歌ったり、一日の感謝を言葉にしてから食べる。
そして、夕食の後は編み物や縫い物なんかの手仕事をしてゆったりすごす。たまにDVDを観たりするときもあるけれど。
そして日曜日の午前中は教会へ行く。

スカイの庭のプラムの木

私が子供のころの夏休みは毎年おばあちゃん家に行っていて、おばあちゃん家の朝は掃除だった。毎日だったかどうかは覚えていないけれど、掃き掃除とモップがけがかならずセットになっていた。まだぜんぜん汚れていないのにな、と思いながら手伝っていた記憶がある。
それから神棚と仏壇の両方に、小さい容器にごはんを山盛りにして祭るのも朝の習慣だったと思う。
あと、お墓参りのときは、床に大きな木のこね鉢をだしてきて、そこに米粉と熱湯を入れてこねておだんごを作った。すごく熱いのにどんどんこねていくおばあちゃんの手はすごいな~と思って見ていた。おだんごはお墓用で、特別おいしいわけではなかったけど、白くて丸いおだんごができあがっていく様子はとても魅力的だった。おだんごやお菓子、やかんに入れた水、お花、そしてお線香をもってお墓参り行くのはお盆の習慣だった。
そして、おばあちゃんは私たち孫に浴衣も縫ってくれた。そういうのも、習いたかったな。

こうして書いてみると、やっぱりいろいろな共通点があることに気づく。
それは、自然に調和した生活だったり、手作り、季節ごとの保存食、日常の中での規律、そして精神性を目に見える形で大切に扱うことなんかだ。
そして、そういうはっきりと見えるところ意外にも似ていると思うところがある。
それは細かいところをあんまり気にしない気質というのだろうか、たとえばちょっと野菜の泥が落ち切れていなくたって、ちょっと醤油にカビが浮いていたって大丈夫、そんな考え方。そしてそれは、自然の近くに暮らしていれば、ごくあたりまえの感覚なんだと思う。

ここにあげたようなおばあちゃんやスカイの暮らしぶりに、特に私が注目してしまうのは、私の育った環境ではあまり見られないものだからかもしれない。
田舎と都会という生活環境の違いも大きいと思うし、時代の流れで無くなっていくものもたくさんあるのだろう。
私が生まれ育った環境では、生ゴミはビニール袋にいれて燃えるゴミに捨てるのが当たり前だったし、保存食を作る必要に迫らせることもなかった。都会に暮らす人にとってはそれが普通。それは日本でもNZでも同じこと。

だから私は生ゴミをりんごの木の下に捨てるとき、特におばあちゃんのことを思いだすんだろう。今の私の暮らしは、私が生まれ育った環境よりも昔のおばあちゃんの暮らしに近いのかもしれない。

スカイの庭のりんごの木

スカイのような暮らしがNZで一般的なわけでは決してないし(むしろ少数派だと思う)、日本でも昔ながらの生活を受け継いでいる人もたくさんいると思うので、これらはあくまでも私個人の視点でしかない。
ただ、人間の生活は、たったひとつ世代を隔てただけでもこんなに違ってしまうんだ、ということにやっぱりすごく驚く。

今、私たちはまたすごく大きな変化の時にいるけれど、50年後には私たちの生活はまた大きく変わっているんだろうなと思う。
それが全ての生命にとって、より健やかな方向でありますように。


≪おまけ ~生ゴミをビニール袋に入れて捨てる時、違和感を感じる方へ~
(↑Chayと私はこういうところ同じ感覚の持ち主なんです)
ダンボール箱ひとつでも簡単に生ゴミを堆肥にすることができます!
興味あるかたはこちら→「循環生活研究所」へ!
(私は実家にいるとき、ここで買ったダンボールコンポストをテラスに置いて使っていました)
自分の土地がないという人でも、できた堆肥はプランターや植木鉢で使ってもいいし、必要な人にあげてもいいと思います。野菜を作っている人にとっては、堆肥はいくらあってもありすぎるということはないものだと思うので。
生活の中でちっちゃくても自然のサイクルを体感できる暮らしはとっても楽しいですよ!!

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 今日も訪問していただき、ありがとうございました!

2 件のコメント:

  1. こんにちは。素敵なお婆さまとお友達ですね。。。
    家は、え~と親戚一同みんな都会なので
    夏休みとかに”田舎に行く”って同級生が言ってるを聞いて
    不思議だったなぁ。(だって、家のほうがむしろ若干田舎なの)

    生活に自分で決めたルーティーンがある人が好きです。
    オークランドだし会社員なので、やっぱりお友達のような生活はできないけれど、毎日会社にいって、帰ってきて毎日絵を描いてそれで毎日静かに過ごせてるから今のところいい生活だって言えるかな。
    それって、ちょっといいよネ。

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  2. yoyoさん
    こんにちは!
    うちはまさにその”夏休みに田舎に行く”の方でした~。
    毎日絵を描いているってすごいですね!そういういい時間が日常にあるって素晴らしいですね。
    私は日々の日課や習慣を今もうちょっと確立していきたいなと思っているところです。でも本当にちょっとしたこと、たとえば夜9時以降はパソコンをしないで手作業する、とかだけでも時間の質が変わってくるから不思議です。

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