2010年12月28日火曜日

氏名と年月日

どんな状況だったか詳しくは忘れちゃったけど、
前にChayが、必要も無いのに苗字を聞かれたことについて、
「プライベートなことなのに」と言っているのを聞いて、すごく驚いた。

その感覚、日本人の私にとっては真逆だと思ったから。
初対面だと苗字で呼ぶほうが失礼にならないし気安い。
そして名前を使うのはもうちょっとプライベートに踏み込んでいる感じがする。
家という大きなくくりが先に来て、個がその後にくる、日本の考え方。
そして西洋では逆に、私という個が何よりもまず先にくる。

この考え方は日付を書くときにも同じように働いていると思う。
日本では2010年12月27日というように、年月日という順番。
でも英語では27th December, 2010というように日月年という順番になる。
一番大きなくくりである年が先にくる日本語に対して、
自分がいる今この地点、である日が先にくる英語。

こういう言語の違いはきっと、価値観の違いから来ているんだろうなと思う。
自分より大きな何か、がまずあって、そして自分がいるという感覚と、
自分という地点から物事が始まっていくという感覚では、
たぶん生き心地にも、大きな違いを生んでいるのかもしれない。

私の大好きな本のひとつに、ウィリアム・サローヤンの「パパ・ユーアクレイジー」という本がある。
少年と父親の、海辺の生活の中でのやりとりが詩的につづられていて、読むとじーんと小さな幸せを感じられるような本で、今までに何度も読んだ。
この本の中では、英語の主語( "I"とか"YOU"とか)を、意図的に省略しないで日本語に訳してある。それがなんとも不思議に響いて面白い。
「父さん、われわれ、今晩そば粉のパンケーキ、食べられる?」といった具合に。
これを読むと日本語ではほとんど主語を使って会話しないのに対して、英語では必ず私、私たち、あなた、といった主語を使っているのだということに気づかされる。

どちらが優れているとか、どちらがいいというものではなくて、
ただ、違うんだなあ、と思う。

2 件のコメント:

  1. 言葉は人、人間性ですね。「ぱぱゆーあーくれいじー」は読みました。日本と西洋の会話で、ワタクシの主張の仕方の違いが顕著になってるよね。昔、咽の形が浅いせいで言葉を上手く発音できず、滅んだ原人がいたくらい!風土とか、食べ物とか生き残りのため今の話し方がうまれたのかな 英語を勉強すると心や暮らしぶりまで感じる旅ができるよね・・・机上だけど

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  2. 彩ちゃん
    ほんとうに。使う言語によって、自分の性格とか物事に対する姿勢を少し変化させる必要があるかなと思っちゃうくらいです。

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